くらしき文化サポーター

中四国有数の拠点都市に成長した倉敷市。 観光地で有名なだけでなく、長い歴史と多くの文化遺産を有するまちなのです。少しずつ、このまちの文化を紹介していきたいと思います。

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 倉敷市真備町と矢掛町の境、標高243mの猿掛山。
 その山頂に、典型的な中世の山城、「猿掛城(さるかけじょう)」がある。

 といっても、今は猿掛城址として、累々と転がる石垣の址や段々畑のように見える曲輪(くるわ)の址に、その名残を見るだけである。(曲輪 = 本丸(一の丸)、二の丸、三の丸などの址)

 知らずに訪れたならば、森の中くらいにしか思えない。
 しかし散らばる石には、人の手によるノミの跡が見られ、往時の威容を思い起こさせる。

20071201_6626.jpg

 この猿掛城の築かれた年代は、平安時代の末まで遡るとも言われているが、真偽は不明。
 しかし、戦国時代の半ばになると、歴史に数多く登場することとなる。
 すなわち、備中戦乱の要として、数々の領主により争奪が繰り返されることになった、ということである。 

 歴史の表舞台に登場した猿掛城は、めまぐるしくその城主と支配者を変える。
 庄、三村、宇喜多、尼子、そして毛利。
 かの有名な羽柴秀吉(豊臣秀吉)の「高松城水攻め」の際には、相手方・毛利輝元の本陣となった。
 まさに、備中戦乱の要衝と呼ぶにふさわしい役目を担っていたのである。

20071201_6686.jpg (城址から小田川、井原鉄道を望む)

 城址から、眺めてみればそれも納得できる。
 山陽道を見下ろし、古くから栄えた真備の地を一望することができるのだ。

 関が原の合戦ののち、猿掛城は廃城となり、歴史の表舞台から身を引いた。
 今は 「兵(つわもの)どもが夢の跡」 を見ることができるだけである。


参考文献: 「真備町の文化財」 真備町教育委員会・編集
テーマ:岡山県 - ジャンル:地域情報
コメント
猿掛城、何度かのぼりました^^
猿掛城は多くの遺構がある大きな山城ですね。
備中松山城に次ぐ規模ということもあり、
立派な山城址で、とても好きです♪
登るのは急坂ですが、登る価値があると思います。

ところで、同じく真備町史跡であった南山城は、
畝堀など遺構が見ごたえありますが、
今は史跡じゃなくなったのかなぁ・・・?
2014/04/23(水) 22:32:43 | URL | 猿備中守 #93Gfe1AA[ 編集]

うーん、リストからは外れているようですねえ。
http://www.city.kurashiki.okayama.jp/5377.htm

それはそうと、南山城は行こうと思いつつ、まだ行っていないのです。
近々行かねば。

暑くならないうちに。。。
2014/05/05(月) 22:55:01 | URL | 管理人 #JalddpaA[ 編集]
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