くらしき文化サポーター

中四国有数の拠点都市に成長した倉敷市。 観光地で有名なだけでなく、長い歴史と多くの文化遺産を有するまちなのです。少しずつ、このまちの文化を紹介していきたいと思います。

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 高梁川の東西両岸を結ぶ渡し船、「水江の渡し」。
 酒津側から船穂町側へ、またその逆でと、人・自転車を渡してくれます。

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 約50m、数分間の渡船。
 どこか懐かしい道行きです。

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 この渡船の歴史は、大正14年にまで遡ります。
 明治末まで、酒津で東西の2本に別れていた高梁川。

 氾濫を繰り返すこの2本の河川は、大正年間を通した大工事(明治43年~大正14年)により一本化され、現在の高梁川が生まれました。

 それにより、氾濫は治まり、用水の安定供給もなされるようになりました。

 しかし、一級河川を「付け替える」という大工事のため、新たに作られた川の中に沈んだ土地もあります。
 それが、古地(こち)、古水江(こみずえ)と呼ばれる土地です。

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(大正14年 改修工事の完成直後の酒津付近)

 川に沈む土地に住んでいた人たちは移住したのですが、川の東西に家と農地などが別れてしまう事になったため、その不便を解消するために設けたのが、「水江の渡し」をはじめとする10を超える渡船の渡し場でした。

 しかし、年月を経るうちに、渡船も一つ、また一つと姿を消し、今に残るのは「水江の渡し」だけとなりました。
 多くの人々を渡し、両岸の人々を繋いできた渡し舟ですが、上流・下流に川辺橋や船穂橋が架かり、自動車が普及したため、徐々に役目を終えていったのです。

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 今、この渡船を使う人は一日10名程度だそう。
 また、利用者の減少もさることながら、渡し場のすぐ川下では、現在新しい橋の建設工事が行われております。
 この橋が完成してしまったら、最後に残るこの渡し舟も、その主たる役目を終えることになります。

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 こういうものがいつまでも残っていて欲しいと願うのは、我侭な感情なのでしょうか。
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