くらしき文化サポーター

中四国有数の拠点都市に成長した倉敷市。 観光地で有名なだけでなく、長い歴史と多くの文化遺産を有するまちなのです。少しずつ、このまちの文化を紹介していきたいと思います。

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 倉敷市下津井沖に浮かぶ小島、松島(まつしま)。

 最も近い陸地からは、わずか500mの距離にある島です。

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 この松島には、全国で唯一と言われる神社があります。
 それが「純友神社」(すみともじんじゃ)です。

 純友神社の祭神は、その名のとおり藤原純友(ふじわらのすみとも)。
 平安時代、瀬戸内海の海賊たちとともに、時の政権に反旗を翻した人物です。

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 藤原家による摂関政治の隆盛期、10世紀の初め。
 一時は中央政治を揺るがす戦が、国の東西で起こりました。

 平将門の乱(935~940年)と藤原純友の乱(939~941年)です。

 東国では、平氏一族の私闘から始まった戦が本格化し、平将門が「新皇」を名乗り、中央政権に敵対します。
 西国では、瀬戸内海の海賊が活発に活動し、やがて藤原純友を首謀者に反国家的な乱を起こします。

 この二つの乱を総称して、「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)といい、藤原氏による政権の地下で力を蓄えつつあった武士の発生を物語るものとされています。

 しかし、武家政権の発生には250年余りも早かったこの二つの乱はやがて平定され、貴族文化華やかなりし平安時代はその後も続きます。

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 さて、わからないのは、なぜ藤原純友を祀った神社があるのか。
 全国で「松島のみ」に。

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 たしかに純友は下津井沖を含む瀬戸内海を跋扈した海賊の頭領でありますが、生まれは京都とされていますし、討ち取られたのは伊予の国(愛媛県)であります。

 非業の最期を遂げた人物に良くあるように、怨霊となって祟ったという話も伝わっていません。

 と申しますのも、怨霊となって祟った場合には、その鎮魂のため怨霊を祭神として祀る神社が造られることが多いからです。
 例えば、菅原道真の天満宮・天神様、山家清兵衛公頼の和霊神社のように。
 また、純友と同時期に乱を起こした平将門には怨霊となった伝説があるため、平将門の首塚は今も手厚く遇されています。(神田明神に合祀されてもいます。)

 そう考えれば考えるほど、なぜこの小島の山頂に、忘れられたかのごとく彼の人を祀る神社があるのか。
 不思議に思えます。

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(純友神社の狛犬。とてもプリティー。嘉永元年の碑銘がある。)

 島の人にも聞いてみたいのですが、松島の人口は現在わずか3名。
 歴史を記した古文書が残っているかどうかも分かりません。

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 ここにこうして書いたのは。
 小さな島のちょっと目を引くものの紹介、といったことだけではなく。
 ここにだけ純友神社がある理由とか、純友神社は他にもある、などの教えを乞いたいからでもあります。

 ということで、何かご存知の方は教えてくださいませ。
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