くらしき文化サポーター

中四国有数の拠点都市に成長した倉敷市。 観光地で有名なだけでなく、長い歴史と多くの文化遺産を有するまちなのです。少しずつ、このまちの文化を紹介していきたいと思います。

 唐突で恐縮ですが。
 日本の石造美術の頂点は、鎌倉時代にあると思います。

 質実剛健な気風と、厳しい禅宗の影響を受け、花開いた武士の文化。
 その文化を体現するのに、最適な材質として岩石が多く使われたのです。

 しかし、倉敷市には鎌倉時代に遡る石造美術は多くありません。
 中世には、現在の倉敷市の平野は、ほとんどが海であったことを考えれば当然と言えるでしょう。

 しかし、真備町には、先日紹介した尾崎の「阿弥陀如来坐像」ほかにも、巨大な鎌倉の石造美術が残るのです。

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堂応寺宝篋印塔(倉敷市真備町辻田)  国指定重要文化財

 辻田の丘の住宅街。
 その坂道を登る途中に、この「堂応寺(どうおうじ)宝篋印塔」があります。

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、お経を納めた塔として始まり、のちに供養塔や墓碑塔として造られるようになりました。
 元々はインドから中国に渡り、日本に渡ってきたものとされています。
 日本では、石造りのものが鎌倉時代の中頃から作られ始め、室町から江戸時代まで作られ続けました。

 この塔は正和三年(1314年)の銘が刻んであり、はっきりと鎌倉時代末とわかるものです。
 厳しい隅角の造りや力強い辺々の線、326cmという県下最大の大きさ。

 これほどのものが、歩いていると、ふいに住宅街の中に顔を出すのです。
 そのときの驚きをわかってもらえますでしょうか。

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満願寺宝篋印塔(倉敷市真備町辻田)  県指定重要文化財

 こちらは、辻田の水田風景に突然現れる「満願寺(まんがんじ)宝篋印塔」。
 こちらも3mを越える巨大な石塔。

 銘が刻まれているのですが、風化しているため判別はできません。
 堂応寺宝篋印塔と同時代か、やや下って南北朝初期のものではないか、とされています。

 初めて見たとき、隅角や辺々の厳しさより、圧倒的な美しさを感じました。

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 このように隅の「角」がほんのわずか外に開いているためか、離れると何とも言えない美しいシルエットとなるからです。
 黄昏時のシルエットは、感動的でさえあります。

 出逢った時の印象が残っているのでしょうが。
 単純な驚きだけでなく、「堂応寺宝篋印塔」には「怖さ」を、「満願寺宝篋印塔」には「美しさ」を、感じたことを、今でもはっきりと覚えています。

 野辺に、これほどのものがある感動を、もっと多くの人々と分かち合いたいと思うのですが、どうでしょうか。
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