
今年で7回目となりました「フィールドオブクラフト倉敷」。
GW明けの恒例の催しとして、すっかり定着したようです。
回を重ねるごとに、来場者が増え、活気が増しているようで。
初回から見ている人間としても嬉しい限りです。
本当に、実行委員会や参加する作家たちの努力の賜物だと思います。

この催しの魅力の一つは。
このように、その作品の作者とその場で会話をしながら品物を選べること。
お目当てとしている作家がいる来場者も少なくないようで。
多くのブースで楽しげな会話が弾んでいました。

さて、あらためて気づいたのですが。
来場者には、小さい子どものいる家族が多いのです。
会場全体の雰囲気も良いこともあり、家族で楽しめるイベントとして認知されている証なのでしょう。


今年も、子どもたちと一緒に楽しめるワークショップブースが充実。
どのブースも満員でした。
この催しは明日も開催。
明日も天気に恵まれそうです。
お気に入りの品々を見つけに、ワークショップを楽しみに。
出かけてみませんか。
フィールドオブクラフト倉敷 7
日時: 平成24年5月12日(土)〜5月13日(日)
場所: 倉敷市芸文館前広場
主催: フィールドオブクラフト倉敷実行委員会

倉敷市下津井沖に浮かぶ小島、松島(まつしま)。
最も近い陸地からは、わずか500mの距離にある島です。

この松島には、全国で唯一と言われる神社があります。
それが「純友神社」(すみともじんじゃ)です。
純友神社の祭神は、その名のとおり藤原純友(ふじわらのすみとも)。
平安時代、瀬戸内海の海賊たちとともに、時の政権に反旗を翻した人物です。

藤原家による摂関政治の隆盛期、10世紀の初め。
一時は中央政治を揺るがす戦が、国の東西で起こりました。
平将門の乱(935〜940年)と藤原純友の乱(939〜941年)です。
東国では、平氏一族の私闘から始まった戦が本格化し、平将門が「新皇」を名乗り、中央政権に敵対します。
西国では、瀬戸内海の海賊が活発に活動し、やがて藤原純友を首謀者に反国家的な乱を起こします。
この二つの乱を総称して、「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)といい、藤原氏による政権の地下で力を蓄えつつあった武士の発生を物語るものとされています。
しかし、武家政権の発生には250年余りも早かったこの二つの乱はやがて平定され、貴族文化華やかなりし平安時代はその後も続きます。

さて、わからないのは、なぜ藤原純友を祀った神社があるのか。
全国で「松島のみ」に。

たしかに純友は下津井沖を含む瀬戸内海を跋扈した海賊の頭領でありますが、生まれは京都とされていますし、討ち取られたのは伊予の国(愛媛県)であります。
非業の最期を遂げた人物に良くあるように、怨霊となって祟ったという話も伝わっていません。
と申しますのも、怨霊となって祟った場合には、その鎮魂のため怨霊を祭神として祀る神社が造られることが多いからです。
例えば、菅原道真の天満宮・天神様、山家清兵衛公頼の和霊神社のように。
また、純友と同時期に乱を起こした平将門には怨霊となった伝説があるため、平将門の首塚は今も手厚く遇されています。(神田明神に合祀されてもいます。)
そう考えれば考えるほど、なぜこの小島の山頂に、忘れられたかのごとく彼の人を祀る神社があるのか。
不思議に思えます。

(純友神社の狛犬。とてもプリティー。嘉永元年の碑銘がある。)
島の人にも聞いてみたいのですが、松島の人口は現在わずか3名。
歴史を記した古文書が残っているかどうかも分かりません。

ここにこうして書いたのは。
小さな島のちょっと目を引くものの紹介、といったことだけではなく。
ここにだけ純友神社がある理由とか、純友神社は他にもある、などの教えを乞いたいからでもあります。
ということで、何かご存知の方は教えてくださいませ。

児島市民創作ミュージカル「最後の五匹」、ステージ出演。
今朝、「せんいのまち児島フェスティバル」のオープニングアトラクションとしてお披露目をいたしました。
今朝、ステージ出演のために集まった人たちは、約80名。
ステージに乗り切らないのではないか、と思わせるほどの人数でした。 w( ̄△ ̄;)w
それもそのはず。
出演者は、「最後の五匹」の出演者だけでなく、味野中学校生徒までを含む人たちだったのです。

ステージで歌ったのは二曲、「たてぬきの歌」と「吉備の児島」。
ちなみに、昨年のステージのものとは、若干歌詞が変わっています。
児島全体の名所を取り込むように、歌詞をリニューアルしたからです。
そこには、「児島全体のテーマソングになってほしい」という。
世話人の方々の想いがあふれているように思います。
今回のステージ出演名を、「児島讃歌合唱隊(仮称)」としていたことからも、その想いは伝わってまいります。

覚えやすく、良いメロディーとともに。
出演者・世話人のこうした想いも、多くの人々に伝わったことでしょうか。
きっと伝わりましたよね。
良いステージであったと思います。
児島市民創作ミュージカル「最後の五匹」 ステージ出演
日時: 平成24年4月28日(土) 9:00〜9:30
場所: JR児島駅前広場ステージ

児島市民創作ミュージカル「最後の五匹」。
その劇中で歌われていた歌が。
今週末の「せんいのまち児島フェスティバル」で再び披露されます。

これは、劇中歌「たてぬきの歌」や「吉備の児島」を。
新しい児島のテーマソングにしようという取り組みの一つだそう。
取り組んでいる人たちは、「最後の五匹」に携わって支えてくれた人たちです。
あの舞台から生まれたものが、今でもこうして続いていることに感動します。
まずは、フェスティバルのオープニングで歌を披露します。
ご覧あれ。
児島市民創作ミュージカル「最後の五匹」 ステージ出演
日時: 平成24年4月28日(土) 9:00〜9:30
場所: JR児島駅前広場ステージ

ただいま放映中のNHK大河ドラマ「平清盛」。
その中にも登場する人物、西行(さいぎょう)法師。
彼は、平清盛と同年齢で、一時は同じ「北面武士」として活躍しました。
俗名は、佐藤義清(さとうのりきよ)。
しかし、清盛が武家社会で台頭していったのに対して、彼は出家し、旅と和歌の道を選びました。
※ 北面武士(ほくめんのぶし)
政治の実権を握る上皇の身辺警護を司る武士。
院に直属する武士で、いわば当時の武士階級のエリート。

(倉敷市曽原 清田八幡神社)
さて、数多くの旅をした西行法師。
その足跡の場所の一つが、倉敷市の曽原にあります。
県道・岡山児島線の北側の山の端にある「清田八幡神社」です。
この神社は、神功皇后の三韓征伐伝説に由来を持ち、曽原から広江、藤戸、木見、迫川を含む地の大産土神(おおうぶすながみ)であった由緒ある神社。

(西行の腰掛石)
この境内に「西行の腰掛石」と伝わる石が、今も残っています。
その説明を引用してみましょう。
仁平三年(1153年)、初回八幡宮参篭は、西行法師大峰修行の先達、宗南坊僧都行宗とのつながりによる。
仁安三年(1168年)、法師五十一歳の時、弘法大師の遺跡と白峰(坂出市)に眠る悲哀の帝・崇徳院の霊魂を慰める四国への旅の途路、再度清田八幡宮を訪れ、昔の思い出を懐かしみ、詠歌を残す。
清田八幡宮の社域の内には古き時代からの西行腰掛石と歌碑が今も残れり。

私が訪れたときの八幡宮は、桜が満開寸前。
そういえば、西行の遺句は。
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比
だったよね、と思い。
いいときに来たものだと思いながら、そのゆかりの史跡を眺めていました。

新しくオープンした児島市民交流センターの中、児島図書館では。
今、「郷土ゆかりの浮世絵展」が開催されています。
並んでいる作品は、14点。
由加・金毘羅両参りで栄えた田の口港や、源平藤戸合戦で海を渡る佐々木盛綱など。
倉敷市内の名所を取り上げた浮世絵が並びます。
あと、児島の江戸半ば頃を描いた古地図もあります。
浮世絵はその性格上、詳細で精密というよりは、かなりデフォルメされたものになります。
しかし、その場所の当時の風景を知る手がかりにもなりますし、何よりも人々が知りたがっていたはずの、地域や名所の特徴が効果的にあらわれているのです。
そういったことに思いをはせながら、ご覧になってはいかがでしょうか。
会期は、今月29日まで。
郷土ゆかりの浮世絵展
期間: 平成24年3月27日(火)〜4月29日(日)
場所: 倉敷市立児島図書館 2階閲覧コーナー特設会場
主催: 倉敷市教育委員会
入場料: 無料
















